さて、今日は
NORTHEN STAR様の
「過去は変えられるか?」という記事に乗ってみたいと思います。
この辺りは超編の根幹に関わってくる設定ですよねぇ。
その前に、まずはさよの死因についてでいただいたWEB拍手への返事から。
>アニメ版だと昔は共学だったぽいですね。む、そうでしたか。TVで一度見ただけなので記憶があやふやなのです。
やっぱり学園長は当時のクラスメートだったりしたのでしょうか。そして当時からあの頭だったのでしょうか。
うわ超見てぇ漫画のほうでも共学だったとしたら学園長の学生時代が見られたりするかもしれませんね。
ただし、もしこれで「失恋の末、自殺」というパターンが採用されてしまうとだいぶ鬱な過去話になってしまいそうですが。教室で自殺するというのは少なからずフッた相手への当てつけが含まれてきますからねぇ……。
続きまして、ここから今日の本題。
まずは引用から。
ここでのポイントは、過去が変わったという事実は使用者(と、同行者)のみが認識できる、ということです。
それ以外の人や物は、過去が変わったという事実に気付くことはありません。もっと言ってしまえば、変わってすらいないのです。彼らにとっては、「今」以外の事実は存在しないのです。
これは言い替えると、過去が変わったということは使用者の主観によってのみ認識できる、ということです。
以上の理由により、「過去は変えられる」と考えられます。 この
「使用者の主観を基準として歴史の変化が起こる」という考え方は同意見です。ネギとその同行者以外にとっては「変わる前の時間軸」なんてものは存在しないのと一緒ですからね。これは作中でも容易に確認できます。
ただ……超のようにあまりにも大規模&長いスパンで時間移動・歴史改変を行ってしまうと、そうも言っていられなくなると思うんですよねぇ。
ネギがこれまで行ってきた歴史改変は
「自分の存在を危うくしない範囲」でのものばかりです。つまり
「ネギ自身の過去は変えないように行動してきた」のです。
歴史改変の基準点(つまり使用者)が揺らいでしまった場合、タイムパラドックスが起こってしまいますから。
しかし超はそうも言っていられません。魔法使いの存在を公表すれば世界を取り巻く情勢そのものが大幅に変わります。ましてや100年も経てば「改変前」と「改変後」の歴史はまるで違うものになっているでしょう。
『「改変前」生まれの超鈴音という人物』が、「改変後」の世界でも矛盾せず存在できるとは思えません。特に思想的な面においては。なにしろ嫌いなものが「大国による一極支配」ですからね。
それを無かったことにするために過去に来た(と思われる)のですから、歴史を変えてしまえば使用者である超が変わる。使用者が変われば歴史改変も起こらないことになる……パラドックスの発生です。
……これをクリアする方法としては
「超の生きてきた未来世界はすでに超自身によって改変された後のものだった」とすることですが……これって要するに「歴史は変えられない」パターンですからねぇ。
咲也さんの次の考察
「時間軸と平行世界」から引用すると
この考えにおいては過去に戻るということは、過去を改変させることではなく、単に決められた運命をなぞるためだけの行動となってしまいます。
未来が予め決められているので、過去に戻りその未来に合わせる、という選択肢しか残されていないのです。
未来が決まっているから過去を変えるのか、過去を変えたから未来が決まったのか、その答えはありません。「卵とニワトリの論理」と同じです。ただこの流れのみが運命づけられているのです。 あらゆる事象はすべて決まっていたことであり、それを変えることはできない。一言で言えば
「すべては神の手の平の上」というやつですね。
いかんせんネギは今までうまいことこの辺りに触れないよう行動してきていますから、真偽のほどは現時点ではうかがいきれませんが。
個人的には「平行世界説」がまだ一番ありうるかなぁ、と思っていたのですが……咲也さんの「時間軸と平行世界」でそれがきっちり否定されてしまったんですよねぇ。
確かに平行世界が発生するパターンなら「ネギが過去に戻って生徒たちの出し物を見て回った」のを「過去に行く前のネギ」が知ることができたのはおかしいです。
「神の手の平の上」タイプになると物語が盛り上がらなくなりそうだからできれば避けてもらいたいトコロなのですが。
まぁ新しい情報が出てくるまで待ちますか、という無難な意見で締め。
そうなんですよね、結局「すべては神の手の平の上」になってしまうんですよね。これだと理論とかそういうのは置いといて、読者として作品が面白くなくなってしまうんですよね。なんともです。
でも、ついんさんの「自分の存在を危うくしない範囲」での改変といのは興味をひかれました。このあたりについていい考えがまとまったら、ネギとチャオの行動を考察できたらな、と思います。